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新生のらくろ君Aの館

新生のらくろ君Aの館

高校時代


さあ、多感な高校時代です



ほとんど忘れかけていた校歌は次のようなものだった。(一番と二番はこんがらがっている)

「天津空見よ、日月も星も、その時違えず、その道巡る、我らも互いに力行止まず、至誠を致して、国運助けん。
世々の跡見よ、日月も星も、その時違えず、その道巡る、我らも互いに荒怠いさめ、至誠を致して、国運助けん。」

大阪府立茨木高等学校は、旧制第四中学であった。
校章の逆さクラゲが逆さになった???(即ち、クラゲのようなマークはこれから来ている。)
高校に入るのはたやすかった。

私の、青春はこうして緩やかに確実に始まった。
最近高校の前を通ることがあったので校門から中を覗くと、これも全く様変わりしていた。
通った頃の学校は、校門からすぐに3階建ての校舎があったが今は運動場が一番に目につく。
その3階建ての校舎の3階で授業を中庭に面した窓際の席で受けていると、向かいの1階の廊下に、輝いて見える女性がいるではないか。
色はお世辞にも白いとはいえなかったが、私好みの理知的な顔は、イングリッドバーグマンを髣髴させる雰囲気を持っていた。

あの、追憶(アナスタシア)に出ていた彼女である。とにかく友人(KNa)のつてで、彼女がみんなと写っている写真を入手した。
その写真の彼女の所だけを、切り抜いて、自分の印鑑ケースの中に密かにしまい込んだ。ところが、殆どその行為を知る由もない彼女に、それが伝わってしまった。
彼女は、本当に怒ったのかどうか、とにかく「写真が欲しいのなら、そう言ってください。勝手に切り抜いたりしないで下さい」とつっけんどんに言われて意気消沈してしまった。
話があるからと言われてすごすご付いていくと、途中で振り返りざま「今ではありません!」ときっぱり言われた時には、嗚呼こりゃぁもう駄目かと、自分のアプローチの稚拙さを悔やんだもので、その時初めて、顔を間近に見、遠望するより可愛い人なので、益々その念が強くなった。

之が本格的初恋の始まりである。
それから、何となくお咎めを受けるでもなく、お付き合いが始まった。
正月から(今丁度正月だ)彼女の問題に入れることを、偶然とは言え、嬉しく思う。(これを思い出しながら書いたのがちょうど正月の2日目だった。)
今は大阪府下で、中学教諭をなさっておられる(すでに定年退職か)が、年賀状など頂戴しつつ、会いたいが昔のイメージを壊すのでないか。
こちらは禿げているし、向こうの容色も衰えているだろうから、と逡巡する次第である。
彼女は存命中なので、旧姓を使いイニシャルでYYとすることにした。之からつとに長いYYとの交流を追想したい。
(本格的初恋の人である)

彼女が手に入れてくれたチケットで、私たちは映画を見に行った。忘れもしない「風と共に去りぬ」だった。主人公のスカーレット・オハラと彼女とがなんだかダブるような感じだった。私は、映画館から出て、無性に感動した。なかなかの演出であると感じた。
傍にいるだけで楽しい雰囲気と、予想に違わぬ理知的な会話は、私を満足させるに十分だった。
そんな会話と、電車の送り迎えのデートが続いた。
行動範囲は、それこそ二府一県(大阪、京都、神戸)の三都物語であるが、主には、京都が我々の前栽であった。
もちろん大阪の御堂筋を、梅田から難波まで歩いて時間のたつのを忘れるほどだったし、三宮の町へも足を運んだ。
でもやはり京都は、我が憧れの地であった。

高校では、フォークダンスが盛んだった。
昔の高校は、校舎が囲む中庭と、北庭という小さな校庭と、南庭と呼ばれる広いグランドに分かれていた
その小さめの北庭で、体育祭の練習をかねたフォークダンスの時間が何度かあった。
ある練習の日、何曲が経過した後、見るとYYがすぐそこまで来ているのが見えた。後一曲で、彼女と踊る(手を握る)ことが出来る。踊ると云っても肩越しに手を握り、と言うか軽く手を添えるだけなのだが、一曲の僅かな時間独占することが出来るのだとわくわくして待った。

ところがどうだろう、次の一曲がかかると思った瞬間、スピーカーは空しく「はい今日の練習は之までです、どうもご苦労さん」と先生がアナウンスした。
何と言うことだ、あと3人ほどではないか、何故だと絶句してしまった。しかし、彼女は何事もなかったように仲間の女性と、そそくさと消えてしまった。私はこれほどアナウンスした先生を恨めしく思ったことはなかった。

彼女にまつわる話をもう一つ、
私が美術室にいて絵を描いていた時のことである。その時何故か私の絵がみんなと同じように壁に貼ってあった。彼女は友人と一緒に部屋に入ってきた。そして暫く壁の絵を眺めていたが、私の絵の前に立つと、友人に、「ねぇ、この絵なんだか変じゃない? あ、そうだ、遠近感がないんだわ」と言って笑いながら出て行った。私の絵と知ってのことか、わざわざけんかを売りに来たのかとムッとしながら出て行く先を見送った。
知っての挑発であったのか、たまたまそういったのかは彼女に聞いてみないと分からない。

これ以降は、記憶が交錯しているため、大学時代にシフトした。

数学の試験で38点を取ったこと。
体育祭で、3年連続1500m競争で優勝したこと。
学校行事の夜間登山(妙見山)にがんとして行かなかったこと、
バスケットボールに興じるあまり、3年生の夏休みをバスケットに明け暮れて、模擬試験の成績が張り出される50番の中になくなったこと。
炎天下の練習で、何度も気を失い水を掛けられたこと
水泳の授業で、飛び込み台にしゃがみ込んで落水したこと。(旧姓茨木中学からはオリンピック選手も出ていたようで、そのせいか立派?な10mの飛び込み台があった。
体育の授業で、男子は、5m女子は3mから飛び降りさせられた。勿論当時でも、10mの高さから逆水で飛び込む猛者もいた。(プールの水は近くの川の水を濾過して引き込んであったようで、とても底までは見えなかった。)

他に見たくさんのエピソードがあるが、ここまでで、とりあえず大学へ移る。





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